お葬式の返礼品に入っている「お清めの塩」って、どうやって使えばいいのかしら。
子供の頃、お葬式から帰ってきた父に塩をとってきてくれと言われて「お清め」をしていた思い出はあるけれど・・・
え、そうなの?
お塩をもらったらなんとなくやっていたんだけど。
お葬式から帰ったら返礼品に入っているお塩をパラパラと自分のからだにかけているけど、このやり方でいいのかしらと思っている人は結構いるでしょう。
そこで、今回は、お清めの塩について、
- そもそもどんな意味があるのか
- 塩の使い方
- 忘れて家に入ってしまった場合どうする?
といった点を説明していきます。
お清めの塩とは?
お清めの塩とは、葬儀後、身を清めるために使うお塩のことです。
会葬礼状の中に小さな袋が入っていることも多いですね。
塩には邪気を払う力があるという考えから、塩をからだに振りかけます。
これは、死を「穢(けが)れ」と考える神道の考え方から来ているもの。
「穢れ」は「気枯れ」とも書き、生命力がなくなっている状態をあらわします。
このような「気」を家に持ち込まないためにあるのが「お清めの塩」というわけです。
仏教やキリスト教では死を穢れとは考えていないので、葬儀後に「お清め」の必要はありません。
たしかに、仏教のお葬式の後にも「お清めの塩」をしていることが多いですよね。
仏教と神道が混在している中で、「お葬式の後にはお清め」ということが風習として残ったのでしょう。
ここで注意したいのは、「穢れ」はあくまでも死を招いた「邪気」であって、故人やお遺体について言っているわけではないということです。
なので、「お清め」をすることが故人に対して申し訳ないと思う必要はありません。
また、「お清め」の効果は、食事やお酒にもあると考えられています。
お葬式の後、「通夜振る舞い」といって食事やお酒が出されるのはそのためです。
通夜振る舞いについては、こちらの記事で解説しています。
お清めの塩の使い方
お清めの塩って、いつどんなふうにするものなのかよくわからなくて。
その日のうちならいいのかしら?
お清めの塩の意味は邪気を払って身を清めることですから、そのためにいつ、どのようにするべきか決まっています。
ポイントは
- 玄関に入る前にする
- お清めの前に手を洗う
- 塩をふりかける順番は胸→背中→足元
- 最後に塩を踏む
ということです。
玄関に入る前にすること
まず、いつかということですが、玄関に入る前です。
邪気が家に入るのを避けるために、かならず家に入る前に行いましょう。
手を洗う
お清めをする前に、手をきれいに洗います。
といっても、そのために家に上がっては本末転倒なので、手洗いが難しい場合はそのままでも大丈夫です。
葬儀に出席していない人が家にいる場合は、その人にやってもらいましょう。
塩をふりかける順番は胸→背中→足元
お清めの塩は、てきとうにパラパラふりかけるのではありません。
血流に沿って、胸→背中→足元の順にふりかけます。
最後に塩を踏む
からだに振りかけて落ちた塩は邪気を含んでいるので、最後に踏むのもポイントです。
といっても、ふつうに歩いて家に入れば自然と踏むことになるので、わざわざ踏みつけたりしなくていいですよ。
お清めの塩を忘れた!後からやってもいい?
お清めの塩を忘れて家に入ってしまったわ!
どうしたらいいのかしら?
まずは、受付でお香典を渡した時にもらった会葬礼状や返礼品にお塩がついていないか確認しましょう。
もともと神道のしきたりなので、仏教のお葬式の場合ついていないこともありますし、ついていても必須ではありません。
ただ、自分で気になるようであれば、一度家に入って塩を取って来た後、また玄関外に出てお清めをしてから家に入りなおせばよいでしょう。
お塩もらってないけれど、やっぱりいつも「お清め」しているのでやらないと落ち着かない・・・
市販の塩でもいいかしら?
「お清めの塩」というと特別な感じがしますが、ふつうの市販の塩でOKです。
テーブル食塩しかなければ、手のひらに少量出してから使えばよいでしょう。
食事やお酒にもお清めの効果はあるので、食事で代用でも構いません。
まとめ
今回のまとめです。
- 「お清めの塩」はお葬式の後、邪気を払って身を清めるため、からだに塩をふりかけるもの。
- もともと死を「穢れ」ととらえる神道の考え方からきており、仏教の考え方にはないが、風習として仏教のお葬式の後にも行われることが多い。
- 家に邪気を持ち込まないよう、玄関に入る前にすることがポイント。
- お清めの前に手を洗い、胸→背中→足元の順に塩をふりかけ、最後に塩を踏む。
- 忘れて家に入ってしまっても気にしなくて大丈夫だが、気になるなら一度玄関から出てお清めをして入りなおすとよい。
- お塩をもらわなかった場合は、家にある市販の塩で構わない。
いかがでしたか?
死を「穢れ」ととらえる神道の考え方からきているもので、必ずするものというわけではありませんが、正しいやり方を知っておくと安心ですね。